●2006/02/08浜武レポート「切るは易し。しかし、頂は拝めず」

切るは易し。しかし、頂は拝めず。

「所信表明演説終了後、小泉総理に向かって全員起立し、拍手を送り続けるように」新人一年生議員達の打ち合わせは行き届いていたはずだった。

しかし、本会議場で起立したのはたった二名。

テレビ映像は心を透かす。国民の付託を受け、本会議上の議席を持つその二名の代議士の目は泳ぎ、その仕草は戸惑いを通 り越え、恥じらいすら演出する程、小泉チルドレンは悠然と着席していた。

「機を見て敏」。昨年まで小泉純一郎総理の初心表明演説に「陶酔」し、マスコミの前で「激賞」を競って連呼した小泉チルドレン。

「子は親の背を見て育つ」。当選すれば(院内会派を通 して)間違いなく「小泉チルドレン」の広告塔に座っていた堀江貴文候補に「改革の騎士」と「絶賛」し応援に入った竹中平蔵国務大臣。送致後、

「党から言われたので応援に行きました」。

大臣だけではない。日本最大組織の人事を握り「私の弟です。息子です」と憚らなかった武部勤自由民主党幹事長。彼の言葉からも堀江氏は最早他人そのものだった。

無論、小泉総理の言葉を待たずとも日本は法治国家であり、それを犯す者は法に則って裁かれるべきである。

しかし、談話は自分の最大の広告塔を果 たしてきた元功労者に対する人間関係は実は希薄で、打算的的であった事を立証するだけであった。 本会議場でのささやかな出来事は「あすは我が身」のチルドレンの本音に留まらず、日本社会を構築する土台、人間関係を映し出した「影」でもある。

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「今後は候補者の履歴は徹底的に調べる」日本最大組織の人材登用の方針を武部幹事長は事態を繕った。

この論を進めると「少しでも過去にキズがある者は登用しない」と言い換えられる(自由民主党より先に民主党は古賀潤一郎元衆議院議員が学歴詐称により党籍を除名され、補欠選挙に至ったのは記憶に新しい)。 程なく他の組織もこれに倣う。日本社会内に於ける人間関係の構築基準になっていく。

私人間関係に国家は原則介入できない。選択は自由である。自由は優勝劣敗に従い、さらに「ギズ者」を切り捨てる行為に出る。従業員、友人関係、結婚。社会学の説明の必要がない程自明な選択である。

私人間関係では排除の余地はあるが、国家や家族はそうは行かない。

「有用でない人間は日本(身内)にいてはいけない」とは出来ない。 アメリカの文化人類学者ルースベネジクト著の「菊と刀」には「庭で花を丹精に育てる日本人は一方で床の間に人を惨殺する道具である刀を平気で飾ってい」て「我々西洋人では到底理解できない」と書き出される。そして「この日本人と果 たしていつまで戦争を続けるのか」をその差異のあまりにも大きい開きのため、地球上から「抹殺するまで続けないといけないのか」と真剣に考えた識者がいた事を告白している。

無論、その後のアメリカの選択は寛容なものとなり、戦前にも増した両国の繁栄を以てその選択は正解であった言えよう。

相いれない人の立場を認める努力をする。その原動力が何であれ自己革新と繁栄の基盤であるのは間違いない。

その対局に位置するものが排除の論理である。

誰しも社会的致命傷を負った人や組織(国家を含め)とつき合っていくのはエネルギーのいる事であり 、相当な不利益も被る覚悟も必要である。

しかし、そのエネルギー大きさが将来の繁栄に比するだろうし、そのような世の中を早期に構築する社会=国家ほど繁栄するだろう。

マスコミで最近まで持て囃されていた占星術師の予言ではあの四人を差し置いてクールビスの着こなしでベストドレッサーと称された方を総理総裁最有力候補と云い、その意外性に年末年始、耳目を集めた。

もし、あの時「弟」を「弟」と受け止め、一緒に責任を取るくらいの「男気」を見せていれば、その予言の信憑性は格段に上がった気がしてならないし、かつて西洋人すらも躊躇した寛容を以て日本人の結束の範となり国益に適ったものにまで昇華せしめたのではないだろうか。

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