●2006/03/18浜武レポート「2007年問題・上〜60歳からの再就職」

「○七問題」の本質【上】

日本のある政令市の始発電車。都心の終着駅に近づく前に座席は程なく満席となり、乗客は吊革に手を伸ばす。

皆寡黙も始発電車。まだ夜も明けきれてない暗闇を乗客は自分の行く末とともにじっと見つめている。

「ビルの掃除に行くのですよ。そりゃ、朝早いのは大変です。真っ暗の中、駅までテクテク歩いていかないといけないんですからね。でも、仕事があるだけでも有難い。五○過ぎたら求人なんか見てもないでしょう。年金を貰うまでまだあるし、もらっても少ないから働かないといけないんです。」

昭和17年生まれの小泉純一郎総理は数年前、還暦を迎えた際、赤い「ちゃんちゃんこ」を纏い「私も還暦だ」とテレビの前で満面 の笑顔で照れて見せた。しかしながら、その映像を見た同世代の多くに満面の笑顔を感銘する者は明らかに減っている。

「何が赤のちゃんちゃんこだ。60の誕生日が来たら、定年で次の仕事を探さないといけない。お祝いどころではない」

他方、60才過ぎて安泰であるものからは声を潜めつつも「そうなる事はもう五○前から解っていた筈。我々と同様、準備できる機会はあったんだから自己責任。そんなのに税金を使うんじゃないでしょうね」と柔らかい物腰で切り捨てる。

しかし、その「安泰」の担保も怪しくなってきた。

先に「天下り先談合」があった防衛庁。自衛隊の定年退職は一般 の職場より早い。

自衛隊では「大型」等様々な資格を若い隊員に取得させ、昇進試験を通 して若年時で「除隊」独立させているにもかかわらず、その数は、大きい。

「それはここでも同じですよ」地方都市の部課長管理職在籍者は今までは六○才の定年後、消防署、火葬場、ゴミ焼却施設、福祉センター、図書館、歴史資料館、男女平等参画センター、勤労青少年ホーム等出先機関に相応のポストが準備される「不文律」があった。

さらに「ここの施設は教育部局だから校長先生経験者」とか「県の課長クラスの下は市の部長クラス等」と前任者と過去の「功績を鑑み(権限、報酬体系も含み)整然と構築」されていた。

しかし「足りない。給食センター、保育所、学童保育。いやバス事業も民営化する条例でも残して退職して頂かないと」と後輩達はぼやく。 地方自治体の持つ深刻な要因は「○七問題」だけではなく組織的な問題も実は孕む。

列島改造論で湧いた昭和四○年代、人口5万人以下の町村も特例的に市政移行を国=自治省が認め、多くのミニ市が誕生した。

その際、名称が変わっただけにもかかわらず組織改編とともに定数も大幅に増やされ(本省でも○○補佐等の役職が生まれたのもこの時期である)、この人達の定年が目前に迫っている構造を全国共有しているのである。

この意味するところは、60過ぎの労働市場の大部分を占める非営利的産業部門の職の争奪合戦が間もなく繰り広げられる事を予見するに充分である。

非営利的産業部門とは所謂、小泉構造改革が進める「民営化」される公共性の高いサービス組織を無論含む。民営化先については決算報告が行われたとしても議会での質疑対象とならないから、俗に云う公平性は市場原理を通 してしか働かない。

要するに、民間人が60過ぎで働けると安心して目していた職場、業種から多くの人が締め出される可能性が否定できなくなってきたのである。

ところで、ポストを艱難辛苦、手中に収めたとしても、公営施設管理者の年度末は怖い。

「館長、来年も居られるんですか?」市民利用者の他意のない問いかけに机についている派遣社員の顔が一斉にしかめる。自分の上司であり続けるかどうか。契約延長の判断基準が極めて不明朗であることは関係者の表情に映る。

今まで何人も先輩の退職後を見て、生活設計を漠然と考えて生きていけた高度経済成長期。公的部門、民間問わず、在職時の権限を以て老後の安泰の確保を許される時代は最早過去の遺物と化した。

「年金の受給年限が六五歳から」この法律の制定以来、政治家を選出する有権者を含め「定年から六五歳まで、日本人はどうやって食べていけばいいか」と云う宿題を背負っているにもかかわらずさぼり続けてきた。

しかしながら、先の宿題にもかかわらず、いま多くの論説は「ベテランの警官がいなくなり、犯人が捕まらなくなる。どう組織を維持したらいいか」と云う組織視点、供給者視点で「○七問題」を取り上げようとしているものが目立っていて、退職する個人、家庭の視点、生活者視点は見あたらない。

日本国民は敏感である。イラク問題、郵政法案、ライブドア騒動。如何に耳目を集める話題に事欠かなくとも「年金問題」だけは世論調査の上位 に鎮座する。

「年金問題」はシンボリックである。国民には解りやすい。しかしその本質は「明日からの自分の生活」であり、安泰だが先の見えなかった大正から昭和初期「何か僕の将来に対するぼんやりとした不安」と言い残し自殺した芥川龍之介の心情を平成の多くの国民が垣間見ているようでならない。

たしか、あの頃、政治家は「財閥や特権階級ばかりに目配りする」と断され、よく暗殺されていた。政治の不在は今も過去も変わらないのだろうか。【続く】

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