●2006/05/28浜武レポート「2007年問題・下〜鎖国か開国か?」

「鎖国か開国か」 ○七年問題の本質【下】

労働生産性の低い二千年前、ローマ帝国が現代人を凌駕する文化活動を実践、構築できた源はローマ人の偉大さもさることながら、奴隷の力による所が大きい。

「全ての道はローマに通ずる」当初、民主的な集団指導体制であったローマは、考え方や人種が異なる外敵からの防衛のため、多くの民衆の叡智を結集する法体系を整備し、その叡智を執行する行政組織を以て、組織的なインフラ整備に国力を投資した。

比較の上で有利であったローマは連戦連勝していくが、そこで多くの労働力、奴隷を手に入れる事ができた。

ラテン語の手ほどきを受けると気づく事があるのだが、同語には文化、芸術面 の単語の語源も多く感心する一方、他方、殺戮や奴隷に関する語彙、文章も多く目にする事ができて、侵略、奴隷の存在は日常化していた事が分かる。

ローマが他国との戦争に勝利すると敗戦国の成人男子は順番に首を刎ねられ、容赦なく皆殺しになる。そして、残った女、子供は奴隷としてローマ本国へ。母子は離ればなれとなり、二度と会うことがない様子が石像に残こされている。

女はローマ本国で家事をさせられ、子供は労働力として使われるが、彼らもいずれ家庭を持つようになり、生産手段の階層が数百年の歴史を経て誕生する。

彼らは農業や過酷な生産活動=3Kに従事。傭兵になるものも現れる。 一方、勝利したローマ人は文化、芸術、スポーツに明け暮れ、賢人も多く輩出したが、胃腸薬の発展に寄与する生活者も多く現れた。

そのローマ帝国の崩壊は一夜にして始まった、と歴史書に語られる。

それは、地球の寒冷化による民族の大移動とされているが、ローマを守る傭兵は最早、外国人や奴隷中心であって心情はローマ人より敵に近かった。そのため戦意は低く、国の崩壊を早めたと識者はまとめている。

現代の話をしよう。

先進国は今、多かれ少なかれ、移民、不法入国の問題に何だかの判断を迫られている。

移民の国アメリカでは中南米からの不法入国者問題。フランスは若年層、とりわけ移民層から起因した雇用問題。そして、わが日本は人口減の労働力補完としての外国人労働力の受け入れ論争。

これらに共通している点は安価な労働力確保という市場経済の論理が透けて見える。

市場経済はタイムイズマネーなので即断性に長けた論理である。そのため、時として民主主義と対立する事は経済学者ハイエクらに指摘されている。

即ち、民主主義は、貧富の格差に一切かかわらず、一人格に対し一票が公平に付与されるしくみを有しているからである。

これが人権である。

この人権問題を軽く見ると、大きなしっぺ返しを食らう。基本的人権の発祥の地フランスでの暴動は皮肉としか言い様がない。

さて、この種の議論の行き着く先で、安易な選択肢は「鎖国」となるが、それでは戦争は必定だ。

「鎖国」とは世界各国の相対的国力の固定化の強要と同じでる。情報化の現代では考えられない。豊かさを求め汗する中国人が「次は自分の番だ」と言ったら、 先進国はどう答えるか。

「鎖国」とは「お前の国は貧乏のままでいろ」と同じなのである。

「鎖国」ができないならどうするか。

介護や看護士を特定の国から受け入れる。弁護士や会計士の資格審査に於て外国人規制を撤廃する、健康保険、義務教育等外国人が住みやすくするため外国人雇用企業に税負担させる等の制度改革が提案されている努力は認める。

しかし、それらが日本人の代替え労働力の意識では、近い将来、必ず不満が爆発するだろう。

◆ ◆ ◆ ◆

超克へのキーワードは意外に日本人の中にある。

「外国人が十働けば、日本人は二十働けばいい」

国土の狭い日本の先人達の初心だ。外国人はいくら来てもいい。日本人、個人では辛いなら日本組織で一丸となって火の玉 になればいい。我々自身が強くなればいいのである。

外国人力士は歓迎。弱い日本人が横綱である必要はない。横綱になりたければ強くなればいい。

しかし、そのためには政治が機能しなければならない。

前号提案した子育て後の女性に新卒採用のような採用枠を用意する「ママさん採用」のようなしくみさえ作れば、子育てをしながら、勉強するお母さんもいっぱい出てくるはずだ。また、その姿を見た子ども達もきっと勉強する。

救うしくみでなく、多くの日本人が努力するしくみを政治は今作るべきである(完)。

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