●2006/07/28浜武レポート「結果 平等か機会均等かの前に〜医師不足の抜本的解決策を提言」

結果平等か機会均等かの前に

厚生労働省の「医師の需給に関する検討会」は7月19日、医師不足が深刻化している自治体にある国公立大学医学部の定員増を条件付きで検討する報告書をまとめた。

これが実施されれば、旧来、医師過剰の統計結果 より、医学部の定数削減を進めていたため、大きな方針転換になるという。

過去の統計結果の云うように、事実、ここ当分、医師数足りない状態が続くが、2020年頃から医師の供給過剰状態になるくらいで、絶妙に均衡する。医学部定数削減施策は功を奏していた。

にも関わらず、さらなる供給過剰のリスクを抱えながら定数増とするのは、地方と専門医の偏在による医師不足が社会不安を引き起こしはじめたためである。

前者の医師の地域偏在で有名になったのは、昨年度末いっぱいで隠岐島に産婦人科医がいなくなり、島で出産ができない事態が起きた問題である。

これはマスコミで一斉に取り上げられ、この事態を回避するに至ったのは記憶に新しい。

「検討会」でも医師の地域偏在を問題ととらえ、国公立大学医学部の地方枠入試、すなわち、大学のある地域出身者のための優先定員枠を設ける事で医師偏在を解消すると報告。マスコミでも一斉に取り上げられた。

後者の専門医の偏在は産婦人科、麻酔科、小児科など、すぐ裁判沙汰になりそうな診療科専門医になりたがらないと云う医師の選択の偏在を指し、医師の数を増やしたところで本質的に解決しない事より、地域偏在に比べ、より深刻な問題にも関わらず一部のマスコミを除き全く取り上げていなかった。

さて、前者について、地域の大学の医学部学生のほとんどが当該地域出身の生徒でなく、県外高校出身者で占めているという。

これは大学入試センター試験による弊害で、一人の医師が一人前になるまでかかる負担がおおよそ8000万円。某私立大学医学部に一年通 えるお金で国立大学医学部に一六年通える計算になるのだから、センター試験の点数でひっかかる大学なら縁もゆかりもなくとも日本中どこにでも通 わせる、比較資本原理がそのまま現れている。

事実、すでに開業している医師の子息は、地元の中学に通 わせず、都会の中高一貫校のそばにマンションを買い、母親と住ませ、科目ごとに医学部在籍者等を複数家庭教師で傭うなどしている子は決して少なくなく、大袈裟な話ではない。

このような実態の延長を考察し、仮に地方枠を作ったところで住民票を移し権利を得ようとする行為は、都合のつく選挙区を見て、政治家が被選挙権を得るようなもので、市民の審判すらない学力試験では、なんの解決策にもならないだろう。

さらに、この「地方枠」施策の実効性を高めても憲法的問題が惹起する。

いわゆる「公平の原則」の棄損である。

成績の良くない地方の子が受かり、点数のいい県外の子が落ちる。

これはアメリカの大学入試でもあったマイノリティを優先的に合格させ、彼らより優秀な白人が学問の継続が絶たれる、という権利問題でも有名な人権課題であるが、このことについては全く深い議論は見られずじまいであった。

これは、人の選別に関わる重大問題であり、学力選考のモデルのみならず、地方の人事採用、登用の選別 基準にも発展する萌芽を予感させるものであるから、今回の報告から最高裁で審判を仰げるくらいの哲学が見いだせないのは残念でならず、今後の議論に期待したい。

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ところで、この議論の根底には「医学部入学者だけに医師資格の道を開ける」がある。

ここで、この根底であるこの規制を撤廃し、医師需給、人材登用と云う社会階層の弾力化と云う側面 で解決の方途を探ってみよう。 医療に関わる方は法律で規制された資格に基づき、医師、薬剤師、看護士、衛生士、検査技師、医療事務関係者等、医療行為に制限がつけられている。

しかしながら、先にも本質的偏在が深刻である産科医は特殊なケースを除けば「産婆さん」で良かった時代もあり、自宅分べんもできた。

高度医療の現代と過去を比較してはいけないと断ずる向きもあるが、医師偏在が本当に深刻なら、看護士や技師達で医療現場に長く勤める人材にも医師国家試験を受験できる環境を助成し、医師偏在を解決する。これを提言したい。

自由貿易交渉の席でフィリピン国は自国の看護士を日本国に多く受け入れて欲しいと提案しているが、彼女たちの中には医師の資格を持つ者も多数いるという。

地域医療に長く従事している関係者にも、意欲のある者に対し、剖検等医学部教育の機会を開らき、医師への道のりを創ることは、まさに構造改革に他ならない。

医師国家試験に合格しない実力のない者に医師資格を与えよ、とは決して言っていない。そして何かの試験のように数を合わせのスクールを作れと言っているわけではない。

現場で選抜基準を作るのは難しいと役人達は言うだろう。しかし、それに汗かくのがパブリックサーバント=公僕の仕事でないか。入試で決めるのは簡単だ。それに甘んじさせるから地方が疲弊する。今いる人材をどう活かすか、奮闘させるか、夢を与えるか、を考え抜くのが仕事ではないか。

少子高齢の人口減少時代であるからこそ、興隆する外国に負けない人材育成のしくみを政治は示さなければならない。事実、地方は外国人に頼らなければならない時代になっていきつつあるのだから。

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