●2006/09/28浜武レポート「安部政権の新人事」
安倍新政権の新人事が始まったが、早速さりげないサプライズがあった。
官僚組織のトップは各省庁の事務次官であるが、実はその事務次官を束ねる官房副長官というポストがある。
このポストが一躍脚光を浴びたのは政権交代にあっても続投を乞われた石原信雄元副長官の存在であったが、慣例で旧内務省系出身者が抑えていた。
しかし、今度の人事で官房副長官に就任した的場順三氏。元国土次官で旧大蔵官僚だ。
ところで、日本の政策立案のシンクタンクは言うまでもなく省庁である。
そのシンクタンクが機能するためには何だかのインセンティブが必要だが、明治政府の時は身分に関わらない登用が魅力だったし、戦後は法令を熟知した第一人者として、いわゆる「天下り」で日本の企業軍のトップに就任できた。
省庁での働き振り次第で社会的影響力のある天下り先が保障され、大学教授や時には国会議員のオプションまでついた。
この天下国家に影響力を行使できるというインセンティブが官僚組織の力の源泉だったのだろう。
しかし、時が下るにつれて、実力が伴わない官僚が機械的に天下る弊害が目にあまり、序列崩壊の機運が高まる。
終戦を決断した鈴木貫太郎総理大臣が若かりし頃、薩長の人間だけがひいきされ、行賞がないのに昇進するのに呆れて軍を辞めようとしたのは有名な逸話であるが、元江戸家老父為之助の助言で思い留まり、日本は人材を失わなかった。時代は道道巡り、今もそのような時機なのかもしれない。
話を戻そう。
今回の人事である。
官邸主導の人事をするという事は官僚のインセンティブは失せる。すると、政策立案能力が落ちる、という図式が考えられる。
これは官僚の保身の代弁ともなる。
しかし、力のある人間、政策を以てぶつけたら、官僚といわずとも誰でも納得せざるを得ないし、文句をつける方が惨めだ。
もし、力のない人間が割り込む事がまかり通 れば、政策でなく、人間の好き嫌いだけしか残らない。これではまだ省閥人事の方がましであり、組織の士気は著しく低下、日本の不幸である。
では、政党が官僚達を納得させるシンクタンクを持っているか?
自民、民主両党ともシンクタンクを充実した事は特筆する政党改革である事は評価するが、保険、金融系の民間シンクタンクの政党版の域を出ないと感じるのは私だけであろうか?
それでは予算規模、数で勝る官僚組織には敵わない。もし、そのような同質の競争をするなら組織拡大するしかなく、強化の名の基の人材の公募や新しいポストの創設に走り、時代と逆行する。
◆◆◆◆
官僚が絶対敵わない武器を政治家は持っている。
それは選挙の洗礼を受けた事である。
ここで得た声の蓄積が日本の叡智であり、このリサーチを大手を振ってできるのが政治家である。
日本には衆議院、参議院だけでも700名を超える人材がいる。地方議員を合わせれば官僚組織に匹敵するくらいの膨大な数の議員を日本国民は「投資」している。
特に地方議員は市民生活の隅々まで接していてナマの声を平素から聞いている。
彼らをシンクタンクとして機能させれば鬼に金棒である。好き嫌いはよくないと書いたが、人間的包容力が地方程要求されるので、説得力に富むのである。
地方議員を持ち上げたが、彼らも今の地位 に甘んじてはいけないのも事実だ。日本国の議員の一員として、浪花節だけではなく、政策立案能力を高め、またそれが評価される選挙風土を市民とともに醸成しなければならないだろう。
さもなければ、また組織の上に組織を作り、それを支えるための増税を甘受しなければならなくなるだろう。