11/05/30●浜武レポート

筑紫野市政を振り返る
お金がかかる選挙への決別

筑紫野市議会議員選挙に出馬してください

昵懇にして頂いている市民の方から、突然のメールが来た。内容は
「筑紫野市議会議員選挙に出馬してください」
市議選は終わったばかりなのにと?だったが、 間もなくマスコミからの電話取材があり、事情が掴める。

右翼の街宣車が連呼している

筑紫野市議会議員が一日で議員辞職。有権者を飲食接待(供応)した嫌疑で、警察から任意取り調べを受け、その後、辞職願いを出し、議会で承認されたT筑紫野市前市議会議員がどんな人物だったか、との取材だったのだ。
市民からのメールは「議席が空き選挙だ。浜武さんに再度市政に戻って欲しい」との激励の要旨だった。
公選法により選挙確定3ヶ月以内なので、次点の候補が繰上げ当選となる(欠員が定数の6分の1になるまでは首長選挙がない限り、補欠選挙は行われない)。首長失職の場合は繰上げはなく(同票でのくじによる決着のケースを除く)選挙になるので、市民は勘違いされてメールを送られたのかもしれない。
次点で繰り上がったのは武光誠さん。武光市議は初挑戦の初当選。部洛解放同盟筑紫地協からの支持があり、右翼の街宣が入ったと思われるが、武光市議は30代の若い議員。とかく指摘されている筑紫野市の人権(同和)行政の旧弊を越え、新しい「人権運動」に取り組む議員である事に大いに期待したい。
言論は自由だが、先入観や風評で、人物を判断するのは市政の損失なのだから。

手ぶらが許されなかった挨拶周り

「あの地域なら、○○さんが票を持っている。挨拶に行ったか。手ぶらでは行けないよ。分かってるよね」
一町四村が合併した筑紫野市。当時の人口は7万人くらいだったか。転居してくる新住民と市政施行以前からの旧住民が半々くらいになった平成7年、私は筑紫野市議会議員選挙に出馬した。

「あすこの陣営は、お手伝いに行ったご婦人達へのお礼は洋服の仕立てだって、だから上位当選」
「事務所から帰ろうとすると、さかえやの菓子折り入りの袋が手渡される」
「(候補者の親族が)手伝ってくれたご婦人に商品券を手渡すよね。いくら入っとると?」
「昼御飯がおにぎりに味噌汁。本当にあいつはバカにしとる」
いやでも耳に入った。

その一方「あの浜武と云う若造に何が出きる。挨拶がない」と聞こえてくる。
私は「この人は飛ばして、ここで話をする」というのが嫌いで、飛ばされた人の気持ちを大切にする。
必然として、挨拶周りは遅くなる。
地域のお世話方への挨拶には行くが、門前で声はすれど、名を名乗ると、不在と答え、取り次いでは貰えない日が続いた。

お金がかかる選挙に決別。その代償は、

○○さんと会う。一通り話をして帰途に就く。
アドバイスをした方にお礼の挨拶に行くと
「いくら払った?」
意味が分からなかった。
「出してないのか。それで機嫌が悪かったんだ」
「私はそんなにお金を持っていません」
「君はどうやって票をまとめるんだ!宗教じゃないんだよ。今、君のやっているやり方で当選したら浜武教だよ。あり得ない!」
お金の名目は車代、交通費とのことだったが、いま思えば飲み食いのお金だったのかもしれない。たしかに、そのリストは地域、地域に顔が広く、いつもお世話を事欠かない方達だ。

それから、間もなく
「こんど市議に出る浜武は、会ってみた人の話によると礼儀を知らない横着者だった、そうですよ」
「浜武のチラシを見たが、言っていることは
実現不可能。勉強はできる様だが空理空論」等
私の親戚がタクシーの運転手からご教示され、心配して、飛んできた(私の母親の兄で、余りの風評に激怒するあまり、母が軽い脳梗塞になって見舞いに来た時の話である)。

筑紫野市の選挙は最早浄化された、はずだった。

私は程なく落選した。
しかし、下馬評を覆し、次々点だった。
それからは、門前で拒否される事もなくなった。「浜武さんは頑張っている」と会ってもいない人に褒められもする。
「浜武さんは話とは全く違うね」
とも云われもした。
次の市議選は当選。票は倍増した。
勿論、飲み食いはなく、事務所なし、自転車での選挙戦。
「挨拶がない」とのアドバイスをする者もいなくなった。多分、お金を払わない事を前回の選挙で立証したからだ。

それから、10年以上が過ぎた。私より若い候補者も当選しだし、最早、事務所等で飲み食いをさせ、組織メンテナンスをしなければならない選挙は筑紫野市では過去の遺物となったと思っていたら、今回の議員辞職が起こったのだ。

議長経験者逮捕。何故議会でけじめをつけないのか。

人口が10万人を越え、接待、供応で当選ラインに乗せる域を越えた筑紫野市。かつて、職員の誕生日にケーキをプレゼントし、職員を掌握した管理職が幅を聞かせ、職員採用も100万円で形がついていたが、私の任期中、そのような職員も逮捕され、役所も近代化されつつあった。

今回「選挙の事だから」「一身上の都合」を理由に、どのような接待、供応の疑義があったかを解明しないのは、決してあってはならない事である。
一日とは云え、現職の市議。その辞職は重い。
さらに、議会承認事項でもあるのだから、議員は少なくとも市民に説明責任があるはずで「仕方がない」で済まされる事ではない。

先の議長経験者が逃亡、逮捕された時も「議会としての責任は取るべきだ」と云ったが、聞き入れなかった。
「同じ会社の役員クラスが逮捕、それも社長在職時の犯罪ですよ。一般企業だったら済まされませんよ」
「偽計したのは彼であって、私たちはやっていない。何故、議会が責任を取らなければならないのか?」
当時の筑紫野市議会議会要職者の感覚だ。

飲食接待、供応排除、等の決議をし、金のかからない選挙を表明すべし。過去に戻る事がないように。

選挙は事務所があり、炊き出しをし、勝てば祝勝会を行う。組織メンテナンスため飲み食いさせる。手伝ってもらった方には贈答をする。そして、その程度により、政治家の人物、人格を評価する。このような選挙は決して成立させてはいけない、と私は思っている。
「昔のムラ社会なら皆が貰えた。でも、今やその輪に入れず、税金だけ払っている人が多数いる」
今回、任意取り調べの段階だが、潔白なら潔白を、嫌疑が事実ならどのような供応だったか。このことを議会便りで報告し、留め、戒めないといけない。
このあと、筑紫野市議会がこの議員辞職をどのように扱うか、市民の皆さんは是非とも注視してほしい。

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