11/06/12(加筆)●浜武レポート
東北関東大震災被災地支援活動
震災復興勝手連の活動より動画&写真
左から熊坂義裕前宮古市長、山本正徳宮古市長、光永勇全国勝手連連合会会長、そして浜武しんいち(於宮古駅前広場)
全国勝手連連合会会長光永勇氏の誘いを受け、4/15〜17の三日間、東北大震災の被災地を周りました。その主な目的の一つ、岩手県宮古市に被災地支援に行きました。
例年、宮古市では、思惟の会(佐香秀彦会長)などの市民団体が中心となって、この時期、観光対策も兼ね、花を街中に咲かせようという事で、プランターを市内中に置く活動が
続いていました。
しかし、震災があり、開催が危ぶまれると、花と緑の農芸財団(長嶋茂雄名誉理事)の会員、白石源次郎氏により、多くの花が届けられ、全国勝手連連合会(光永勇会長)の震災 復興勝手連らと宮古市民とともに、植栽活動を行いました(長嶋茂雄名誉理事のメッセージも届けられています)。
式典終了後(式典の様子は勝手連連合会のHPにて後日更新されるそうですhttp://www.kaerusouken.jp/)熊坂前宮古市長がインタビューに応じて頂きました。
式典、植栽終了後、車で45号線を南下。以下はそのときの車窓をレポートです。
経路は花巻空港→盛岡→宮古→釜石→陸前高田→気仙沼→一関→宮城仙台→仙台→名取市→仙台空港→亘理→相馬→南相馬→福島原発20km検問所→磐越道→常磐道→首都
高速→羽田です
気仙沼市内撮影
・2011/04/17車窓「南相馬市→福島原発20km検問所」
さて、写真の数も膨大で、取材内容も多伎に亘りました。さらに原発の問題も大きくなりました。
今、我々も含めて、じっくりモノを考える暇がない程、課題が山積する国難な時です。
近日中、もう少し時間をかけて、今日本が何をすべきか、日本が賞賛された事、すなわち、日本とは何か、についてまとめてみたいと思います。
検証1●覚え書き〜いずれまとめます
・宮城県名取市(仙台空港のそばです)の遺体安置所では兵庫県の職員が担当していた。
・職員は組合の繋がりで派遣されていると云う。
・大変な仕事ですねと労うと「いえ、ボランティア休暇を取って交代で来ている」と答える!
・職員が無給どころか、なんと自分の休暇を削ってやってきている!
・これほど甚大な災害の場合、県や国の組織を通すより、小さな組織の繋がりの方が迅速かつ、必要な人材がいきわたる。
・他方、ブラジルでは、日本人の「他人のために献身的になる」モチベーションの高さを学ぼうと学習会を開いている。
・原発の問題はともかく、世界中が日本の復興の早さ、非常時の連帯行動を政治的に取り入れる研究をしている。
・日本人の多くは「今、自分が出きる事は何か」を共通の想いとして持っている。
・しかし、福岡県、筑紫野市は「今、自分が出きる事は何か」そのような気持ちをすくい上げ、まとめる政治力が見られたとは思えない。
・ 寧ろ、個人で被災地に支援物資を送ろうとして、予想以上の物資が届き、トラブルが起きるなど、人の善意がマイナス方向になる場合もあった。これは公共善を担う政治の貧困に他ならない。
・これからのまちづくりは 「今、自分が出きる事は何か」をまとめる仕組みを地域(小学校校区なのか自治会単位
なのかは今後の課題)に創り、すべて、公共の福祉をカネ(税金)で解決するのではなく、住民自身ができる事をやる仕組みにしなければならない。
・ 住民自身ができる事をやれば増税や財政破綻は避けられる。
・話を戻そう。兵庫県県庁職員が被災地支援ができたのは「ボランティア休暇」という「仕組み」があったから「今、自分が出きる事は何か」と云う個人の気持ちを具現化できた。
・短絡的に云えば、ボランティアで公共に貢献する時、この種の休暇がとれる仕組みを創る事が極めて、震災復興に有効な手段である事が分かった。
・よって、政治が、会社法人等を「ボランティア休暇」等の「欠員」に耐えられる組織に誘導できれば、世界が驚く「組織」「国家」になる。
・利潤追求を求める「法人」に於ける、個人ボランティア意識の具現化の道のりは遠いと思われるので、まず、「地域自治体」を「思いやりの気持ちが芽生え、尊重され、具現化する」街の仕組みに変えていく事を考えたい(区長制度〜自治会制度に福祉部門の権限=ヒトモノカネをつけるのも一考〉。
・この支援活動を終え、日本が世界から絶賛される点を無意識に享受するのではなく、日本の強さをいかに伸ばすか、その源泉は何かを探すことが国難を克服する近道だと感じた。
なかなかそれは見えにくいのだけど、最近その源泉は、(日本の)教育にあるのでは、と感じている。
「自分さえ良ければいい」
このような風潮を無くすため、先般、教育基本法の大改正が行われた(文部科学省HP)。
逆に云えば、日本に住む人は皆、公共心がしっかりしていた。組織等が教育に投資する事なく、人は使えた。が、昨今「個性を発揮する」等の極端な権利(人権)主張を容認し、かつアングロサクソン諸国ほどの宗教心が個人に定着していなかったため、やりすぎも起き、経済、人心、政治各界に混乱を来たした。
かつて「教育勅語」を田中首相に絶賛した蒋介石の言葉にあるよう、異文化であれ、日本の教育、文化は偏向や恣意がなければ極めて高い公共心をあまねく享受できる環境にある。これが外国が理解できない日本の強さかもしれない。
あと、余暇〜個人、法人問わず、他人ために献身的になる、社会性を持つ人間、組織を創るためにはどうしても必要な要因〜がキーワードなのかなと感じてやまない。
検証2●太宰府市や北九州市は被災地支援の出動は早かったが「筑紫野市はどうしとるとや」との声も多かった。
この事を検証してみよう。
遅かった市長会
福岡県には町村長会と市長会(会長北橋健治北九州市長)があ、まづ福岡県は両者に支援について打診があった。
他方、太宰府市は多賀城市と歴史史跡の関係で友好都市であったため、東北と独自ルートを持っており、独自の支援体制が組めた。
独自ルートを持たない自治体が、県を通して支援体制を組むのは最もな判断だと思う。
筑紫野市は市長会だけでなく、独自ルートを模索し、町村会が支援体制に入る事をキャッチ。その中の輪に入る事を提案する(原発に近い糸島市も)。
それから市長会も動き、現在の支援体制に落ち着く。
筑紫野市も多くの職員を派遣するが、職員は、交代制で市報で紹介された職員が一斉に行くわけでなく、報酬等は出張扱いとなるようだ。
他方、市職から、ボランティア休暇を使い、遺留品等の分類等の支援に行く職員もいる。一市民として敬意を賞したい。
福岡県は大丈夫?
多くの方がご存じのように、例えば、四川大地震の時のように、筑紫野市は気仙沼市のような地域毎の割り当てをするよう、福岡県、国がもう少し主導権を取り、自治体支援を進める事ができるのではないか、との可能性を考えてしまうのは私だけだろうか?
玄海原発の問題もゼロではない。
九州は台風銀座であり、地震もあった。
今回の町村長会、市長会の足並みの乱れを、「市と県は対等だから」などの「人権的意識」の責に押しやってと行けない。平時でなく、緊急時こそ、強いリーダーシップが必要だ。
「他団体はどうでもよい(自分さえよければいい)」は以ての他だ。
あまり知られていないが、消防署はかなり早い段階から。
頑張っている職員は讃えなければならない!
「遺体の損傷は酷かった」
太宰府・筑紫野消防組合員はかなり早い段階から被災地に派遣されていた
「比較的、若い隊員に行かせている」
しかし、案外身近な消防隊員が被災地に赴いている事を知らない市民も多い。
私は、市職員であれ、消防団員であれ、市報、HP等で、もう少しどのような支援を行ったかを紹介してもいいのではないかと考える。
職員も大変だが、つまる所、市民のお金で支援に行っているわけだから、1行でも1枚の写
真でも市民と共有する、災害支援のあり方もありではないだろうか。
浜武しんいち
住所●〒818-0046福岡県筑紫野市大字山口1913番地8
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